“As If You Read My Mind”

fabzweb2004-11-23



スティーヴィー・ワンダーの作風の特徴/違いは、何よりその“視点”である。


60〜70年代の一般的ブラック・ミュージックのアーティストは、「いかにソウルフルか」とか、
「いかに踊れるか」というポイントが大きかったであろう。当時は“Black Pride”の傾向と、
ブラック・ミュージックの市場拡大の大きなポイントとして「白人にも売るなら踊れるものを」
という傾向の〜相反するような両面が確かに同時にあった筈だからである。


それに対しスティーヴィーの“視点”は、同胞のブラック・ミュージックに注がれると同様に
(もしくはそれ以上に)〜PopsやRockにも大いに“視点”が注がれている点が重要なポイントだ。
つまりは、何より先にまず音楽自体なのである。


例えば〜ビートルズの多面性(「MY CHERIE AMOR」は「MICHELLE」からの影響、など)。
ビーチ・ボーイズの内面性(『SIGNED SEALED&DELIVERED』以降の『PET SOUNDS』の影響)。
ザ・フーシンセサイザーの導入(『MUSIC OF MY MIND』以降の『WHO'S NEXT』の影響)。
などなど。


これらのものを表面的になぞるのではなく、スティーヴィーの持ち味として昇華させる手腕に
優れている点は〜ちょっと他の追随を許さない才能であろう。
同様の事は、後のレゲエやサンバ/ボサノヴァを導入した作品についても言える事だ。
彼にとって“人種の壁”や“ジャンルの壁”などは無意味なものであったに違いない。
事実〜ジェフ・ベックストーンズポール・マッカートニーエルトン・ジョンらとの交流を
重ねている点などにおいても、ロック派にも入り易い存在/知名度である人物であろう(*1)。


では何故Stevie Wonderは他の黒人ミュージシャンよりスムーズに白人の音楽の要素も取り入れ
られたのであろうか?
様々な意見があるであろうが、僕が個人的見解としてここで挙げたいのは次の点である。
“我々から見たらスティーヴィーは黒人だが、スティーヴィーが彼自身を見たら…?”
これは偏見でも差別でも無い事をあらかじめここに明記してから述べさせて頂くが〜
ティーヴィーは、〜彼自身の肌の色が見えない。
彼には自分が黒人であるという事よりも、まず自分は人間でありミュージシャンなのである。
聴こえる音楽が白人の物か黒人の物かという点は恐らく殆ど関係なく、人種など意味が無い。
その偏見の無さが〜60年代後期以降の自由な音楽創造の源となったように〜僕には思える。
つまり、
彼が見ているのは“肌の色”では無く、“心の中に響く音楽”だったのではないだろうか。


 *
最も顕著なのは、やはり有名な70年代の一連のセルフ・プロデュース作品時代であろう。(*2)


自らの心の中にあるサウンドを最も適切に形にすべく〜当時新しい流れとして注目されていた
“独り多重録音”を率先して導入している。
その為、68年の名作『FOR ONCE IN MY LIFE』で極めた豪華なMOTOWNサウンドは影を潜め〜
70年の『SIGNED SEALED & DELIVERED』辺りから一旦シンプルな演奏の楽曲が増える。
しかしこれらは、彼の中での新しい“編曲”する喜びに溢れた愛すべき習作として〜聞き処も
多い。この頃から唄、キーボード、ハーモニカに加え〜独特なドラムの演奏も始まっている。


そして上記のザ・フーの『WHO'S NEXT』の影響から〜シンセサイザーの導入を試みるように
なっていった。これは“独り多重録音”を中心に行っていく上でも、キーボードでオーケスト
レイション出来るシンセサイザーは〜スティーヴィーにとって正に夢の楽器だったに違い無い。
マルコム・セシルとロバート・マーゴレフという白人のシンセ・オペレーター/エンジニアを
迎え〜“TONTO”というシンセサイザー・システムを導入した『MUSIC OF MY MIND』(72)
からの作品が〜スティーヴィーのセルフ・プロデュース新時代とも言うべき作品群である。


これらの作品は、初期シンセ特有の「音の角を減らした」まろみある音色を生かすMIXを行う為
か〜他の楽器も“Chorus”や“Limiter”といったエフェクター特性を印象付けるミキシング
が施され、(これはスティーヴィーの意図通りか定かでは無いが)その為〜“箱庭的音楽空間”と
いった趣の音響となっている。ある意味「スティーヴィーの架空の音楽楽園」の様な響きなのだ。
『TALKING BOOK』,『INNERVISION』,『FULFILLINGNESS FIRST FINALE』,『SONGS IN
THE KEY OF LIFE』と連なる70'sの黄金時代作品は、もはやR&Bだ白人的だという次元で無く、
レゲエ/サンバ/ボサノヴァ/ジャズetc(*3)を含む〜彼の“心の中に響く音楽集”なのである。




P.S./
THE WHOがスティーヴィーに与えた影響に関しては〜比較的判り易いシンセサイザー導入の件
で書いたが、ここでひとつ個人的に疑問が湧いてきた。
「スティーヴィーは、ザ・フーの『TOMMY』('69)をどう聴いたのだろうか?」
これに関する記述を探してみようと思ったが…ちょっとNetではすぐ出て来なかった。残念。
まあ、想像も含めてこんな [音楽つながり] を膨らませるのも楽しかったりする。
普通に聴いてたら〜スティーヴィーとフーなんて関連薄い気もするが、意外な処で繋がってたり
もするから面白い。「LIVING FOR THE CITY」は「WON'T GET FOOLED AGAIN」なのではないか?


キッド・クレオールだってビーチ・ボーイズ聴くんだし、トム・ウェイツだってキッド・ク
レオール好きなんだし、ポール・マッカートニーだってミーターズ大好きなんだから。
そしてフーはビーチ・ボーイズ好きで、スティーヴィーはビーチ・ボーイズに曲を書いている。
表面に判り易く現れなくても〜色々なつながりに気付ける瞬間が〜聴く音楽の世界を拡げる
醍醐味のひとつと言えるのではないか。聴く人の数だけ答があっていい。
こんなところも〜スティーヴィー的“視点”に僕が共感する要因なのかも知れない。
“As If You Read My Mind”.




                   *なるほどね〜 と、思ったら… こちら♪


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●注釈/(*1)
ティーヴィーはPOPS派やROCK派にとって比較的入り易い存在であるのだが、しかし一方で、
ここ日本では一部ブラック・ミュージック派に彼は軽視されていたりもする一面もある。
「白過ぎる(白人的過ぎる)」という理由らしい…。
そんな評価の仕方をしているのは〜恐らく日本だけだ。情けない。
大方、1970〜80年代当時にスティーヴィー嫌いの評論家が書いた言葉の受け売りをしている連中
だと思われるが、そんな人は“P-Fu*k至上主義”“関西Funk最高”とか一生言っててほしい。
ティーヴィーの多彩さを全く見れていない。「LIVING FOR THE CITY」のどこが白い?
事実-10年ほど前にミュージック・マガジン誌増刊『Soul&Funk』が出された際、スティーヴィー
もアイズレーズも特集されていなかった。表紙はP-Fu*kたち。大変な歪みあるSOUL辞典だった。
僕らは永年、誰かの手で湾曲された水平線を眺めてきた事は明記しておきたい。ROCKも同じだ。
あのプリンスだって言っている。
「スティーヴィーがどんなに偉大か、君には判らない」、と。


●(*2)
比較的有名な70年代のシンセサイザーのくだりを上記では述べたが、それ以前にスティーヴィー
にとって大きな衝撃となったのが〜'60年代末の“ニュー・ソウル”の流れだろう。
キー・パーソンはダニー・ハサウェイとチャールズ・ステップニー。そしてチャールズの同志の
ラムゼイ・ルイスにモーリス・ホワイト、そしてミニー・リパートン。この辺りは後日改めて。


●(*3)
誠に個人的な見解だが〜ジャクソン・ファイブをゲストに迎えた「YOU HAVEN'T DONE NOTHIN'」
は、日本のリズムがルーツな気もする。もしくは世界の“Work Song”に共通するリズムなのだ
ろうか? 改めて聴いてみて欲しい。あえて言わないけど。こんな独創的な曲はなかなか無いよ。