“すべての若きモッズども”

fabzweb2004-10-04




2004年7/24・25のサマー・フェス“Rock Oddysey”は、
“ある種の人達”にとっては〜まさに“夢のような”イベントだったと思います。




ザ・フーポール・ウェラーが一緒のステージで競演する!
この事実だけで〜他のメンツとチケット代の?も見逃してやるべきと思いました。
“2大 MOD MASTER”が揃ったんですから!
 たとえ、真夏の炎天下という…らしくない状況だったとしても(笑)。


“2代 MOD MASTER”と書いた方が適切かも知れませんね。
ポール・ウェラーは-The Whoへの憧れをぶちまけたような[Jam]でのデビュー以降、
スタイリッシュな[Style Council]時代、そして[Paul Weller]としてのソロ活動を通し〜
サウンドの変貌はあれど、
常にモッドとしての“感覚”そして“芯”を通した人と言えるでしょう。
真の“パンク精神”を持っているアーティストなら〜
こだわるのは、音としての“パンク形態”ではなく、あくまで“芯”な筈ですから。




ポール・ウェラーの作品は、あくまでエモーショナル。感情の昂揚、たかぶり。
象徴的な〜血管ブチ切れ系のシャウト炸裂ビート作品はもちろん、
静かな佇まいのものやスタイリッシュな作品も〜感情のたかぶりを著わすためのもの。
「伝えたい〜形にしたい感情があるから作品を作る…。」
彼の曲は、そんな誠実さに溢れてしまっているから時代を超え支持されているのです。
けっして、巷に溢れる〜「売れる為/ウケる為」の使い捨て音楽ではないのです。


僕はパンクの流れの作品をいろいろ聴きながらも〜
“パンク・ムーヴメント”というもの自体には…多少懐疑的でした。
その辺を聴く以前に、すでに“The Who経験”してしまっていたせいかも知れません。
どれも「後追い」だから客観しているのかも知れません。
つまり僕には、“パンク・ムーヴメント”自体は、
ウケる為の音楽の匂いを放ってる気がしてしまうのです。
「メジャー志向」とは逆でも、「私は違うんだ志向」というパターンの範疇な気がして。
「理由なき反抗」ごっこ、「尾崎豊ごっことかと同じです。
真の“The Who経験”をした人なら、そんなもの通用しない筈ですから。


パンクの流れから出て来ても、
そこから次の形へ〜もしくは本来あるべき形を追求出来た人達は、ひとあじ違います。
コステロジョー・ジャクソンXTC、ポリス…etc。
そして、ポール・ウェラー

結局は、
“芯”のある“作品”を作ったアーティストが残る。
“芯”があるから“作品”が残る。…売れたか売れないかでは無く。
そんな“芯”の部分が、“作品”の骨となるのですから。
楽家なら、音楽自体を頑張ろうとする。
本当は、なんてあたりまえのこと…いちばん大事なこと。


"Has my fire really gone out?"


だから僕は、ポール・ウェラーを信用出来るのです。




   “すべての若きモッズども” に捧ぐ






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