スティーヴィー・ワンダー Stevie Wonder
 (スティービー・ワンダー) (スティーヴィ・ワンダー) (すてぃーびーわんだー)




ブラック・ミュージックの枠を超えて様々な音楽要素を取り入れ、
ポップでありながら同時に独創性の高い作品創りを続けた盲目の才人。


幼少から音楽を嗜み、1962年に当時の新興レーベルMOTOWNより『TRIBUTE TO UNCLE RAY』
でデビュー。1963年にはシングル「Fingertips Pt.2」をヒットさせシーンに躍り出た。
この時、彼は僅か12才。
60年代当時“Hit Factory”と呼ばれたMOTOWN側にとっては〜当初はマーヴィン・ゲイなど
と並ぶ看板「シンガー」として育てていくべき“子供歌手”であったであろう。だが、しかし、
音楽に貪欲なスティーヴィーは〜けっしてその枠に収まりきる存在では無かった。


'66年の「UPTIGHT」、'67年の「I WAS MADE TO LOVE HER」などのヒットを放った頃から〜
彼は自ら楽曲創りに参加し始め、'68年の名作アルバム『FOR ONCE IN MY LIFE』では大半の
曲を(共作ではあるが)書き下ろすに至り、他のMOTOWN所属アーティストにも作品提供するよ
うになっていった。


70年代に入り、“ニュー・ソウル”と呼ばれた新しいブラック・ミュージックの流れに呼応
すべく〜MOTOWNと「自分の作品を自分でプロデュースする権利」を含め再契約してからの彼
は、流行や他人の意見に介されずに独自の作品創りを行える立場となった。
そしてその結果、'72年の名盤『TALKING BOOK』の世界的大ヒットが生まれたのである。
「SUPERSTITION(迷信)」や「YOU ARE THE SUNSHINE OF MY LIFE」を聴いた事の無い人は
少ないであろう。


以降、
黄金期と呼ばれる70年代(*)に『INNERVISION』(73),『FULFILLINGNESS FIRST FINALE』
(74),『SONGS IN THE KEY OF LIFE』(76)という力作を続けて発表し、多彩な音楽要素を取り
入れつつ独自の作品創りが展開され、今や古典的とも言える名曲の数々が残された。
(「LIVING FOR THE CITY」「DON'T YOU WORRY 'BOUT A THING」「ISN'T SHE LOVELY」etc)


80年代のスティーヴィーは、一種「神憑かり的」だった70年代の作風から身近な物へと戻り、
80年の『HOTTER THAN JULY』,81年の『ORIGINAL MUSIQUARIUM』(Best+新曲)辺りまでの
アルバムは〜70年代とはまた違った魅力があり〜おすすめ。(「LATELY」「THAT GIRL」etc.)


多くのブラック・ミュージシャンの中でも比較的ポップス度の高いスティーヴィー作品は〜
R&B系に疎遠または避けている人々にとって、最も入り易いアーティストと言えるだろう。
肌の色とか言葉とかを超越した、音楽本来の魅力や奥深さを堪能するのに最適の存在である。


そして同時に、もしスティーヴィーのポップな表面の裏に潜む〜ベースラインやシンセの異常
なフレーズぶりに耳が行くようになれば、きっとその時点で既にあなたは…大抵のブラック・
ミュージックも楽しめる人になっている筈であろう。




                   *なるほどね〜 と、思ったら… こちら♪


   *関連Artists* ミニー・リパートン シリータ セルジオ・メンデス ラムゼイ・ルイス オマー etc.


(*)
よく日本では〜「スティーヴィーは70年代に限る」「アルバムは『KEY OF LIFE』が一番」と短絡的に言われるが、
僕には賛同出来ない。彼の時代別魅力を“60's:70's:80's”で比率化するとしたら〜“4:5:1”くらいが妥当だ。
また、ビギナーにアルバムを奨めるとしたら、やや散漫な『SONGS IN THE KEY OF LIFE』より〜『TALKING BOOK』
が絶対に入り易い筈である。しかし1番のお薦めは上記『ORIGINAL MUSIQUARIUM』。只のBest盤と思うなかれ。


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